8まってる

私が、今、ハマっているものを、紹介いたします。

デカルト著 「方法序説」を読む

今回は、哲学です。

デカルトについては、故小林秀雄氏がその本質に精通しているようなので、

小林氏の文を、参考にして、紹介したいと思います。

方法序説」というと、なんだか難しく感じるタイトルですが、

小林氏によると、「私のやり方」と訳した方が良いそうです。

つまり、「真理をつかむための私のやり方」でしょうか。

本文には、目的について、「自分の理性を正しく導くために従うべき

万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を

導こうと努力したかを見せるだけなのである」と、書いています。

そして、「この書がだれにも無害で、しかも人によっては有益であり、

すべての人が私のこの率直さをよしとしてくれる」ことを期待したそうです。

その方法は、四つの規則からなりますが、小林氏によると、原理となる方法は、

たった一つ。

「疑う余地のないほど、極めて明瞭に判然と、自分の心に現れたものしか、

判断のうちに取り入れぬ事」だそうです。

驚くほどシンプルですが、その理由は、

「法律の数がやたらに多いと、しばしば悪徳に口実をあたえるので、国家は、

ごくわずかの法律が遵守されるときのほうがずっとよく統治される」からです。

この方法は、私たちは、無意識的に選択しているはずですが、デカルトは、

「一度たりともそれから外れまいという堅い不変の決心をするなら」と、

ことわっています。

堅い不変の決心のもとに、意識的にも、無意識的にもこの方法のみを貫いて行くと

いうことは、我々には、なかなか実行できないと思います。しかし、デカルトは、その

当時、「ヨーロッパで最も有名な学校の一つで」「他の人が学んでいたことはすべて」

学び、さらに、「もっとも秘伝的で稀有とされている学問を扱った本」まで

読破した上で、「他のだれについてもわたしを基にして判断する自由」、

「考える自由」を選び取り、二十三才のときに方法を直感しました。その時、彼には、

「即断と偏見がもっとも恐れられるべきことであった」ので、

「もっと成熟した年齢に達するまでは、これをやりとげようと企ててはならない

と考えた」そうです。そして、九年間もの間、

「役者よりはむしろ観客になろうと努め、あちこちと巡り歩くばかりだった」

そのようにして得た彼の思索の末の言葉が、

「我れ思う、故に我れ在り」

であったと言います。

デカルトは、この真理に行き着くまでを語ったのか、「きわめてゆっくりと歩む

人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人より

も、はるかに前進することができる」と、文中に載せています。

小林氏は、デカルトを「自己を信じて無私を得た生きた人間」と評しました。

果たして信じられるものは、何か?と、追求するあなたに、必見です。