8まってる

私が、今、ハマっているものを、紹介いたします。

谷口雅春著 「無門関解釈」 第十九則を読む

さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、「無門関解釈」の紹介、

今回は、第十九則です。

本文の後にわかりやすい解釈文があります。

本文は難解なので、とばして読んでもOKです。

では、

第十九則 「平常是道(へいじょうこれどう)」

南泉(なんせん)ちなみに趙州(じょうしゅう)問う、如何(いか)なるか是れ道(どう)。

泉いわく、平常心是れ道。州いわく、還(かえ)って趣向(しゅこう)すべきや否(いな)や。

泉いわく、向(むか)わんと擬(ぎ)すればすなわち乖(そむ)く。

擬せずんばいかでか是れ道なることを知らん。泉いわく、

道は知にも属せず不知にも属せず、知は是れ妄覚(もうかく)、

不知は是れ無記(むき)。もし真に不疑(ふぎ)の道に達せば、なお大虚(たいきょ)の

廓然(かくねん)として洞豁(とうかつ)なるが如(ごと)し。豈(あ)に強(し)いて

是非(ぜひ)すべけんや。州、言下(ごんか)において頓悟(とんご)す。

<解釈文>

『無門関』第七則、趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)のところに

「御飯を喫(た)べたら茶碗を洗え」とあたり前の行事の中(うち)に道(みち)が

あることを説いているその趙州である。その趙州がまだ悟らないで

南泉和尚の膝下(しっか)に参(さん)じて道を求めていた時の出来事である。

「如何なるか是れ道」 ー 道(みち)とはどんなものですか - と言って

趙州は南泉に聞いたのである。すると、「平常心是れ道」と南泉は答えた。

道は遠きにあるかと思ったら、平常の心「そのままの心」の中(なか)にあるのである。

高座(こうざ)にのぼって滔々(とうとう)と道を説いても、脱いだ下駄が

撥(は)ね飛んでいるようなことでは道ではない。日常生活、坐作進退(ざさしんたい)、

一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)そこにおのずからなる律(りつ)が

あらわれなければならぬ。「道」は眼に見えず、宇宙に満ちていて、

處(ところ)を得たる中に姿をあらわすのである。柔「道」と言い、剣「道」と言い、

茶「道」と言い、華「道」と言い、書「道」と言い、医「道」と言い、政「道」と言い

 ー すべてのもの處を得る極致において「道」を其処(そこ)に姿をあらわすので

ある。處を得ないときには「道」は未(いま)だしである。

 ところが、「平常そのままの心が道だ」と師の南泉に言われた趙州は

「還って趣向すべきや否や」と問い返した。「先生のおっしゃるには、

平常そのままの心が道であるべきだと言われますけれども、心をめぐらして

その道に乖かないように趣向を凝(こ)らすべきではありますまいか。」

 すると南泉は「向わんと擬すればすなわち乖く」と答えた。

「道と言うものは何々の方向に向かっているものだから、道は一定の形が

あるべきであるからとて、特に趣向をこらしてその方向に向かおうと、

身構えすれば却(かえ)って道に乖く」と言ったのである。

老子も「道の道とすべきは常道にあらず、名の名とすべきは常名(じょうめい)

にあらず」と言った。道は一定の身構えに堕(だ)したときに、それが

洞然貫道自在(とうぜんかんどうじざい)の「道」から却って乖いたことに

なるのである。宮本武蔵の『五輪書』に「いずれの構えなりともかまうると

思わず、きる事なりと思うべし」とあり、また「有構(うがまえ)

無構(むがまえ)の教えの事」として、「有構無構というは、元来太刀を

構うるという事有るべき事に非(あら)ず。され共(ども)、五方(ごほう)に

置く事あれば構えともなるべし、太刀は敵の縁により、所により、

形氣(けいき)にしたがい何(いず)れの方に置きたりとも、その敵の

きりよき様に持つ心なり……」とあり、また「他流に太刀の構えを

用(もち)うる事」と題して、「太刀の構えを専(もっぱ)らにする

所ひが事也。世の中に構えのあらん事は、敵のなき時の事なるべし。

……城をかまうる、あるいは陣をかまうるなどは人にしかけられても

つよく動かぬ心、是れ常の儀也。兵法勝負の道においては、何事も先手先手と

心掛くる事なり。かまうるという心は、先手を待つ心也。よくよく工夫有るべし」

とある。ここに言う構うる心とは「向かわんと擬する心」であるから却って

道に乖くことになるのである。元来「道」と言うものは流動しているものであって、

そのまま対境を支配するように、随所に主となり得るように流動したとき「道」と

倶(とも)に動くことになるのであるが、「道」を一定の「形」と思い、

剣道の構えを一定の形と思い込み、道と共に流動し得なくなったとき、

剣道においては敵にやぶれ、商道においては失敗して産を倒し、医道においては

診断正確にして却って患者を殺す等の愚を演ずるに至るのである。

医道は診断にとらわれず、物質的学校教授の治療術のみにとらわれず、

患者に対しては、活殺自在臨機応変(かっさつじざいりんきおうへん)の処置を

とるべきである。無構の構えがおのずから「平常の心」となりて、

「心の欲する處を行うて」矩(のり)を越えざる底の大自在の境地に達すべきで

あって、「道とはこんなものぢゃ」と形を捉(とら)えたとき、その捉えられた

「道」なるものはすでに変貌(へんぼう)して「道」でなくなっているのである。

 こう南泉から教えられたが、その頃の趙州にはまだ南泉の説く意味が本当には

わからないのである。そこで趙州は「擬せずんばいかでか是れ道なることを知らん」

と問うた。趙州の言う意味は、「道と言うものはこういうものだと一定の

方向を指し示し、その方向へ向く構えが出来なかったならば、道の道たることが

どうしてわかりましょうぞ」と言うのである。すると南泉は「道は知にも属せず

不知にも属せず」と言って答えた。

 道は無形である。吾々が一切の我を裁断(せつだん)して無形に成り切ったときに、

その平常心に道があらわれているのである。平常心と言えばとて、

そのままの日常生活と言う「形」の日常生活と「道」だと思ってしまったら

また却って「道」に乖く。「道」は知に属せずであって、知覚をもって

道を知ろうとしても「道」は知覚し得るものではない。では知覚し得ないものが

道であるかと言って「道なんて生活にあらわれる必要はない」と思ってしまえば

却って「道」に乖くのである。そこで「道」は知に属すると言っても不知に

属すると言っても、どちらも本当ではないのである。だから南泉は

「道は知にも属せず、不知にも属せず」と言ったのである。

真の大道は、知不知を二つながら超越して、そのまま此処(ここ)に、

朝起きて顔を洗うところに、掃除をするところに、飯を食うところに、

茶碗を洗うところに、生け花に、茶道に、割烹に、洗濯に、いたる所にあるのである。

すべてそれが引っかかる所なく、おのずからなる律を顕(あら)わすのが(不疑の道)

である。甲論乙駁是非(こうろんおつぱくぜひ)の議論を戦わして見ても

そこに大道を見出し得べきものではない。この

「不疑の道に達せば、なお大虚がカラリとしてスミキリなるが如(ごと)く」生活

そのままが透明に澄み切って道となるのであると南泉和尚が言われたときに、

趙州は言下に、 なるほど とにわかに悟った。

それ以来、真理受用不盡(しんりじゅようふじん)、この「平常心是道」の説法は

幾多の人々を救ったのである。 - 

いかがでしたでしょうか?説明は不要と感じます。

「引っかからないこと、引っかからないという事にも引っかからないこと」

「捉われない、捉われないという事にも、捉われないこと」

執着が無ければ、全てが清らかなのです。