8まってる

私が、今、ハマっているものを、紹介いたします。

谷口雅春著 「無門関解釈」 第十五則を読む

さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、「無門関解釈」の紹介、

今回は、第十五則です。

今回から、解釈文だけ載せます。

では、

第十五則 「洞山三頓(とうざんさんとん)」

雲門和尚(うんもんおしょう)は雪峰義存禅師(せっぽうぎぞんぜんじ)に

嗣法(しほう)した人で雲門宗の開祖、雲門山光奉院(うんもんざんこうぶいん)の

文偃禅師(ぶんえんぜんじ)その人である。

洞山は、襄州洞山初宗慧禅師(じょうしゅうとうざんしょそうけいぜんじ)である。

雲門和尚のところへ参じて大悟を開いた人である。

さて、雲門和尚のところへ洞山がやって来た。

雲門「近ごろ、どちらからおいでになりましたか。」

洞山「査渡(さと)におりました。」査渡は地名である。

雲門「夏安居(げあんご)にはどちらで修行なされたかな。」夏安居と言うのは

一夏(いちげ)九十日の修行のことである。

洞山「湖南(こなん)の報慈寺(ほうずじ)で夏(げ)をすごしました。」

雲門「いつあそこをお離れになりました。」

洞山「八月二十五日でございました。」

雲門「馬鹿野郎、貴様に三頓の棒をくらわしてやるところだが、

今日はゆるすから帰れ。」(一頓は二十棒、合計六十棒である。)

あたり前にあたり前の挨拶を正直にやったのであるが、洞山は雲門に

六十棒をくらわすところだと言われて合点が行かぬ。

その日は帰って終日考えたけれども洞山にはどうもわからぬ。

そこで翌日洞山は再び雲門和尚のところへやって来た。そしてたずねた。

「昨日先生に三頓の棒をくらわすところだがゆるすと言われましたが、

その訳がわかりませぬ。どこに私に罪がございますか。」

「こやつ飯袋(めしぶくろ)め!江西湖南(こうせいこなん)の諸禅林(しょぜんりん)で

修行して来たはずの貴様にそれがわからぬか。」

洞山このときはじめて大悟したと言うのである。何を大悟したのであるか。

だいたい雲門三頓の棒は、どう言う挨拶をしたから、その挨拶の仕方に

間違いがあったからと言う理由で棒をくらわせるのではない。

江西湖南色々のところで修行して来たと言うその気負った心に棒を

くらわせるのである。増上慢(ぞうじょうまん)を摧破(さいは)するのである。

洞山が「湖南の報慈寺で八月二十五日までも修行しておったもので

ございます」と答えたのは、青年気鋭の頭の良さで考えていたことに

あたるであろう。問答の言い方が善いの悪いのと言うことではない。

その既(すで)に飽満(ほうまん)したように人間智を一杯つめこんでいる 

増上慢が悪いのだ。 -

いかがでしたでしょうか。増上慢が善くないのは、へりくだった心では

ないからです。せっかくの真理の言葉も、「そんなことは、

全て知っている」という姿勢の人には、なかなか伝わりません。

三頓の棒をくらわしてでも、真理を伝えるという雲門の教えは、

み佛の慈悲に叶っていると思います。