8まってる

私が、今、ハマっているものを、紹介いたします。

谷口雅春著 「無門関解釈」 第十三則を読む

さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、「無門関解釈」の紹介、

今回は、第十三則です。

本文の後にわかりやすい解釈文があります。

本文は難解なので、とばして読んでもOKです。

では、

第十三則 「徳山托鉢(とくさんたくはつ)」

徳山一日(とくさんいちじつ)托鉢して堂(どう)に下(くだ)る。雪峰(せっぽう)に、

この老漢(ろうかん)、鐘(かね)いまだ鳴らず、鼓(く)いまだ響かざるに、

托鉢してなんの處(ところ)に向かって去ると問われ、山すなわち方丈(ほうじょう)に

かえる。峰(ほう)、巖頭(がんとう)に擧似(こじ)す。頭いわく、大小の徳山いまだ

末後(まつご)の句をえせず。山聞いて侍者(じしゃ)をして巖頭をよびきたらしめて

曰(いわ)く、汝(なんじ)老僧をうけがわざるか。巖頭密(みつ)にその意をまおす。

山すなわち休(きゅう)し去る。明日陞座(みょうにちしんぞ)、はたして尋常(よのつね)

と同じからず。巖頭、僧堂前(そうどうぜん)に至って掌(たなごころ)を

うって大笑(たいしょう)していわく、且喜(しゃき)すらくは老漢末後の句を

えすることを得たり。他後(たご)天下の人、伊(かれ)をいかんともせじ。

<解釈文>

徳山老師が一日(ある日)もう昼食の時間だと思うので、のこのこ鉢を持って

食堂の方へ下りて来た。すると飯頭(はんじゅう)と言って食堂の係をしていた

雪峰禅師が飯櫃(めしびつ)を覆う布巾をほしていた。まだ食事の合図の

鐘も太鼓も叩かないのに徳山老人が食堂の方へ下りて来るものだから

「この老漢(おいぼれ)、鐘いまだ鳴らず、太鼓もいまだ響かざるに鉢を托(さ)げて

どこへ行く」と雪峰は怒鳴りつけた。すると徳山実に素直にまた自分の方丈に

帰っていった。(方丈と言うのは住持の居室のことである。維摩居士(ゆいまこじ)

の居室が方一丈(ほういちじょう)であったと言う故事から、住持の居室を

大小にかかわらず方丈と言うのである。)若い時の彼はそんな素直な徳山ではなかった。

臨済の喝、徳山の棒と並び称せられたほどの鋭い気性の漢(もの)であったが、

今はその鋭さがとれて人物が円(まる)くなってしまったのである。若い気鋭(きえい)な

者なら「食堂の係の不始末で、こんなに食事が遅れたのではいかぬぢゃないか」と

相手をとがめるところでもあろうが、ただ素直に相手の非難を受けて去って行ったので

ある。ここが尊い。是(ぜ)は何處(いづこ)にありや、不是は何處にありや、

一々(いちいち)気鋭に争っているのが佛道の本義ではない。ところが雪峰には

まだ若輩の気鋭さがある。今日は徳山老師を一本やり込めたぞと、得意になって

巖頭に擧似した。擧似は擧示と同じで、その問題を擧(あ)げて話すことである。

巖頭はそれを聴いて「大小(さすが)の徳山も、まだ末後の句をえせず」と言った。

「末後の句」と言うのは最後の関頭(かんとう)の絶対実在の絶対把握 ー 不死久遠の

真理である。「大小の徳山も老耄(ろうもう)して食事の時間は間違う、怒鳴りつけ

られたらスゴスゴ方丈へ帰って行く、あれでは愈々(いよいよ)臨終の時に

どんな音(ね)が出るだろう」と、まァ弟子達の間で冗談混じりにこう言って

笑ったのである。これでは批評が間違っている。徳山の足下(あしもと)へは

雪峰も巖頭も到底近寄れない。若いものは鋭い攻撃的なのが強くて、円満に

頭を下げている方が負けたのだと思いやすいが、境地が違ったら一層高い者の

心境などうかがい知ることが出来ないのである。

徳山は弟子たちがそんなに自分の心境を誤解しているのだと言うことを知って、

誤解を訂正するのは自分の弁護のためではないが、弟子の心境のために必要である。

他の高きを低しとして軽蔑し、自分の低きを高しとして慢心している限りは

その人の心境は向上しない。そこで弟子の巖頭を呼んで、「汝老僧をうけがわざるか

(お前にはわしの心境が解らないのか)と言った。巖頭禅師は密に(コソコソ耳元で)

自分の心持を言った。どう言ったのか表面にはあらわれていないが、徳山は

「休し去る」とあるから満足して去ったものと見える。

徳山老師は何に満足し去ったのか知らないが、その翌日陞座して講壇にのぼった

ときに、「尋常と同じからず」で常のように説法しない。ただ無言で壇上に

座るとぐうぐう居眠りしてしまった。徳山老師は何を説いていたのであるか。

それは果たして「末後の句」を説いていたのであろうか。『從容録(しょうようろく)』

の第一則に「世尊陞座」と言う公案がある。すなわち

「世尊一日陞座、白槌(びゃくつい)していわく、諦観法王法、法王法如是、

世尊すなわち下座」と書いてある。釈迦がある日説法のために高座にのぼったが、

徳山と同じように何事も説かないでこくりこくり居眠りしている。すると

文殊菩薩が槌(つち)を打って合図をして「法王すなわち釈尊の法は如是 ー 

この通りで御座(ござ)い!」と言った。

すると釈尊はそのまま講壇を降りてしまったと言うのである。徳山の末後の句も

この通りでござい。巖頭禅師は掌(たなぞこ)をうって「老漢末後の句を

得することを得たり、他後(これから)天下の人、伊をいかんともせじ」

(徳山老師に指一本触れることは出来まい)と言って喜んだと言うのである。 ー

いかがでしたでしょうか?

無門関の主人公、無門和尚は、徳山老師は、まだ「無」にとらわれていると

厳しく批評しています。「無門関解釈」の著者、谷口氏も、「佛教が『不説一字』とか

『無字』を説くと言うことにとらわれるくらいなら、何事も説かない方が

佛教なのである。」「ところが本当の佛教は『不説一字』ところか、

一切時一切所に常住説法しているのである。」と、徳山老師の「悟り」が、

十二分に深いものでは無いと評しています。

釈迦は常住説法していたのであり、寝ていても、それが説法になっていたそうです。

う~ん、奥が深いですね~。