8まってる

私が、今、ハマっているものを、紹介いたします。

「ふっと心がかるくなる 禅の言葉」を読む

さて、今回は、禅語です。

禅語には、人生の指針となるような言葉が、沢山あります。

例えば、「主人公」

「主人公」って、禅語なんですよ。あ、知ってました?

昔、瑞巌(ずいがん)寺の師彦(しげん)和尚は、毎日自分で自分に、

「おーい主人公、師彦和尚よ!」と呼び掛けて、「はい!」と返事をし、

「しっかりと目を覚まして本来の面目を保っているか?人をだましたりだまされたり

しないよう真実のおのれの状態でいるか?」「はいはい!」と

自問自答していたそうです。

禅でいう「主人公」とは、「本来の面目」つまり、「純粋な自分」です。

あらゆる宗教が、目指すところは、どのようにして、この「純粋な自分」になるか?

という一点に尽きると言っても、過言ではありません。

禅語も又、その点で、一貫しています。

続いて紹介する「無功徳」という言葉は、禅の始祖である達磨が、梁(りょう)の武帝

呼ばれ、「私は寺を建て、僧を養成した。どのような功徳が得られますか?」と

聞かれた際、即、「無功徳!」

と言った時の言葉です。

寺を建て、僧を養成したからには、それ相応の功徳があると思います。しかし、

功徳を目的に、寺を建てるのでは、本末が転倒している。

達磨は、そこを指摘したのです。

よく、目的が手段化する人がいます。

勉強が好きだったはずなのに、いつの間にか、受験の手段になっている。

受験は、就職の手段になっている。就職は、お金儲けの手段になっている。

そういう人が、ただ、「今していること」を目的にして、没頭した時に、

生きがいを取り戻せることがあります。

「自分」を「過去」でも「未来」でもない。「今」に取り戻す作業を、

禅語で、してみませんか?