8まってる

私が、今、ハマっているものを、紹介いたします。

谷口雅春著 「無門関解釈」 第十二則を読む

さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、「無門関解釈」の紹介、

今回は、第十二則です。

本文の後にわかりやすい解釈文があります。

本文は難解なので、とばして読んでも良いです。

では、

第十二則「巖喚主人(がんくわんしゅじん)」

瑞巖(ずいがん)の彦(げん)和尚、毎日自ら主人公と喚(よ)び、

また自ら応諾(おうだく)す。乃(すなわ)ちいわく、惺惺著(せいせいぢゃく)。

だく。他時異日(たじいじつ)、人の瞞(まん)を受くることなかれ。だくだく。

<解釈文>

瑞巖和尚は毎日自分自身の「内」に向かって「主人公、主人公」と喚び、

「ハイ、ハイ」と言ってこたえていたというのである。そうして又、

「惺惺著(ハッキリ眼を覚ましておれよ)」とこういいつける。

「眼を覚ましていて、他時異日(これからさき)人から瞞着(まんちゃく)

されるなよ。」「だくだく(ハイ、ハイ)」と自問自答していたと言うのである。

これが「言葉の力」と言うものである。禅宗の大家も常にこういうように

言葉の力を利用したものである。

「……称名念佛(しょうみょうねんぶつ)することは一つの行為であるから

行であることに変わりはない。親鸞聖人もこれを『行』と認めているので

ありまして、『大行(だいぎょう)とはすなわち無礙光如来(むげこうにょらい)

の名を称するなり。……しかるにかの大行は大悲(だいひ)の願(がん)より

いでたり』と言っておられるのであります。『南無阿弥陀佛』と称名念佛

すると言うのは、凡夫(ぼんぷ)が念佛しているのかと思ったら、『如来の大悲の願』

が宿って念佛しているのであります。念佛と言うのは凡夫自身が念佛しているのでは

なくて、如来が念佛している。如来が念佛して如来が成佛するのであります。

これがもし、凡夫が念佛して成佛するのでありましたら、凡夫の念佛は

凡夫と言うものの自力である - そう言う自力の念佛では救われようはないし、

他力真宗では極力排斥(きょくりょくはいせき)するところであります。

かくのごとく、我々が念佛するのは如来が念佛するのであります。

(これが本当の「言葉の力」である)だからいくら念佛しても自力ではない。

佛が佛であることを生きている(これが惺惺著 - 目をさましておれよである)

 - 佛が佛であることを鳴り響かしている。(これが「人の瞞を受くること

なかれ」 - 「自力に瞞(だま)されてはならぬぞ」である)だからもうすでに

念佛する人は成佛しているのであります。だから『信心(しんじん)よろこぶ

そのひとを、如来とひとしと説き給う。大信心は佛性なり』と親鸞聖人は

お説きになっているのであります。」

喚び出す人、こたえる人、眼を覚ましておれと言う人、

人に瞞されるなよと言う人 - などと言う沢山の傀儡(かいらい)をならべて

いるが、そんな傀儡の一つ一つが別々に存在すると思ったり、

その一つ一つの言葉の力を自力のはからいの力で自分は悟るのだと

思い上がったらまちがいである。自力などと言うものはどこにもない。

「わしが、わしが」と思っているとまっさかまに地獄におちる。

如来が念佛して如来が成佛する」のであります。

喚び出すものも佛の本願力(ほんがんりき)の回向(えこう)であり、

喚び出されるものも佛性そのものである。それを知らずに、

自力で形ばかりを真似ていたら野狐禅(やこぜん)に堕(だ)するぞ。 

 -

いかがでしたでしょうか?「声字即実相(しょうじそくじっそう)」ですが、

形だけの力んだ念佛(念仏)は、いけないようです。

 

 

谷口雅春著 「無門関解釈」 第十一則を読む

さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、「無門関解釈」の紹介、

今回は、第十一則です。

本文の後にわかりやすい解釈文があります。

本文は難解なので、とばして読んでもOKです。

では、

第十一則 「州勘庵主(しゅうかんあんじゅ)」

趙州(じょうしゅう)一庵主(いちあんじゅ)のところにいたって問う、

有りや有りや。主(しゅ)、拳頭(けんとう)を堅起(じゅき)す。州いわく、

水浅うしてこれ舡(ふね)を泊(はく)するところにあらず、すなわち行く。

又一庵主のところに至っていわく、有りや有りや。主もまた拳頭を堅起す。

州いわく、能緃能奪(のうしょうのうだつ)、能殺能活(のうさつのうかつ)、

すなわち作禮(さらい)す。

<解釈文>

趙州和尚は第一則の「趙州狗子(じょうしゅうくし)」の公案に出て来た

趙州和尚である。趙州和尚は八十歳の時まで行脚(あんぎゃ)して禅機(ぜんき)を

磨いた。禅の修行は剣の修行のようなものであって段違いで問答無用とわかったら

サッサと突き出してしまうか、サッサと引き上げてしまうものであったことが

本則でうかがわれる。

「州勘庵主」(州庵主を勘す)というのは趙州がある寺を訪れていって、

その庵主のさとりの程度を勘破(かんぱ)したということである。

「勘」というのは、「勘察(かんさつ)する」「勘(かんが)える」「考察する」等の

意味を持っている語で、庵主の力量の程度を勘破したことである。

 さて、趙州は例のごとく行脚してある寺に行き着いた。

そして「頼もう」と呼びかけて、出て来た庵主にいきなり「有りや、有りや」と

言って問答を始めたのである。すると、その庵主もさる者、拳を握って

上向きに突き出したというのが「主、拳頭を堅起す」である。

「有ると言うのは握っていることだ」という意味であったろうと思う。

握らなければ何もない。本来空々寂々(ほんらいくうくうじゃくじゃく)、

何の有るものもないということを動作に示したものと見ることが出来る。

一寸見ると、それで公案は解決している。

ところが趙州和尚は「何ぢゃ、その悟りの浅いことは、水が浅くて

港に船が着くことが出来ないようなものだ」と言ってサッサと引き上げて

行ってしまったのである。そして又次の寺へ行くと、趙州は前と同じように

「有りや、有りや」と呼びかけたのである。すると今度の寺の主人もやはり

「拳頭を堅起す」ー で拳固(げんこ)を握って上向けて見せたのである。

しかしその拳固は前のお寺の僧とはちがっていた。同じ握った拳(こぶし)でも

形は同じでも内容がちがうことが勘破されたのである。その動作を見たときに

趙州は「能緃能奪、能殺能活」と言ってほめて禮(れい)をなしたというのである。

二庵主が同じく拳を堅起したのは、二庵主の力ではなく、趙州の心境が

呼び起こした心のリフレクション(反影《はんえい》)である。

そうすると、二庵主に差があるのは、趙州自身の標準による優劣の批判では

なく、前庵主はそういう無礼な取り扱いを受け、後庵主はそういう丁重な

取り扱いを受けるだけの心があったのだとしなければならぬ。

趙州の心は庵主の動作に現れており、庵主の心は趙州の動作に現れているのである。

「有りや、有りや」と趙州が問いかけた時に、前庵主も後庵主も拳を堅起して

「有るというのは握っていることだ」と拳を握って示したところまでは、

趙州の心の反影である。「握らなければ本来空、どこにも引っかかるところがない」

と、前庵主が「心」で答えたであろうことの反影が

「水浅うして舡を入るるに足らず」と言ってサッサと引き下がった趙州のこたえに

現れているのである。

「握らなければ本来空、どこにも引っかかるところがない」ならば、それは

「水浅うして舡を入るるに足らぬ」ではないか。港に舡が入るには水がなければ

ならぬ。船が入港するのは水というものに船底が引っかかっているからこそ

出来ることであって、「握らなければ本来空」などと言っていると、その「空」

なるものに引っかかって港に入港することも出来ねば、港から船員が航海中に

必要なる飲食物をも積み込むことも出来ぬ。「空仏教」に引っかかると

人生の意義がなくなってしまう。

「有りや、有りや」とたずねるような相手には「ここに有る」と言って

「生命」を直指(じきし)して示さねばならぬ。

「空の仏教」は『般若経』までである。華厳、法華、涅槃になると「実(じつ)の仏教」

になっている。

後庵主が能殺能活であるのは、その拳頭堅起によって、

「ここに汝の求むる久遠不滅の生命あり」と直指したところにあるのである。ー

いかがでしたでしょうか?「空」にもとらわれてはならぬ。

しかし、全く執着の無い世界には、「生まれる」ということも、「死ぬ」と

いうこともありません。ということは、「創造」が無いということでもあります。

現象世界に住む我々は、何事かを表現し、創造しなければ、気がすみません。

どうすればよいか?それは、

「執着しても執着しなくても執着しない心持ち」という心境に達することです。

一見矛盾する事柄を受け入れる考え方を、「不二法門」と言います。

これが体得できれば、悟ったと言えるでしょう。

谷口雅春著 「無門関解釈」 第十則を読む

さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、「無門関解釈」の紹介、

今回は、第十則です。

本文の後にわかりやすい解釈文があります。

本文は難解なので、とばして呼んでも良いです。

では、

第十則 「淸税孤貧(せいぜいこひん)」

曹山和尚(そうざんおしょう)、ちなみに僧問うていわく、淸税孤貧、こふ師

脤濟(しんさい)したまえ。山(さん)いわく、税闍梨(ぜいじゃり)と。

税、應諾(おうだく)す。山いわく、靑原白家(せいげんはくか)の酒、

三盞喫(さんさんきつ)おわってなおいう未(いま)だ唇(した)をうるおさずと。

<解釈文>

曹山和尚は年少(としわか)うして儒(じゅ)を学び、十九歳にして出家し、

唐の咸通(かんつう)の初め禅宗の盛んなる時、

洞山良价禅師(とうざんりょうかいぜんじ)の教えを受け法を嗣(つ)いだ。

支那(しな)における曹洞宗(そうとうしゅう)の名は

曹山本寂禅師(そうざんほんじゃくぜんじ)と洞山良价禅師の

頭文字を重ねて出来上がったものであるというほどの曹山和尚である。

さてある日、曹山和尚のところへ、一人の僧がやって来て、

「私は淸税というものでございます。まことに孤独で寄る辺(よるべ)なく

貧しきものでございます。どうか私を恵み救って下さいませ」と言った。

貧しいというのもただ経済的に貧乏なというわけではない。

また僧淸税はただ恵んでもらうために乞食(こつじき)に来たのではない。

禅僧が禅僧を訪ねて問答するのは悟りと悟りとの相打つところの一種の

真剣勝負である。孤貧であるというのは、「孤」とは頼るべき何物もないこと

ーすなわち何物にも依(よ)っていないことであり、「貧」とは何物をも

握っていないことをあらわしている。

「私は何物にも依っていません。私は何物をも握っていません。

この心境はどうぢゃ」と淸税は曹山に挑みかかったのである。

そこで曹山は「税闍梨!」と呼びかけた。闍梨というのは、

阿闍梨(あじゃり)の略で僧侶に対する尊敬の言葉である。「税闍梨!」と

呼びかけたのは「淸税先生!」と呼び掛けたと思えば宜(よろ)しい。

すると、「うむ……」と淸税は應諾したのである。

「淸税は孤貧である、何にも頼っていない、何も持っていない、

これでどうぢゃ」と呼び掛けたその舌の根も乾かぬうちに、もう彼は

「淸税先生」に成り上がってしまったのである。もう彼は「先生」なる

名称を持ち、「先生」なる名称に頼っているのである。

そこで曹山は、「靑原白家の酒、三盞喫おわってなおいう未だ唇をうるおさず」

(白氏醸造《はくしじょうぞう》の靑原《せいげん》の名酒をたんまり飲んで

置きながら、唇に一滴の酒もうるおさなかったような白《しら》ばくれようは

何ぢゃ)と一喝をくらわしたというのである。ー

執着を離れたと、油断していると、実は、別のものに執着している。

「とらわれない、とらわれないということにもとらわれない」

ことが、大事ですね。
 

谷口雅春著 「無門関解釈」 第九則を読む

さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、

第八則を、とばして、

今回は、第九則です。

本文の後にわかりやすい解釈文があります。

本文は難解なので、スルーしても大丈夫です。

では、 

第九則 「大通智勝(だいつうちしょう)」

興陽(こうよう)の譲(じょう)和尚、ちなみに僧問ふ、

大通智勝佛(だいつうちしょうぶつ)、十劫(じゅっこう)道場に座(ざ)して、

佛法現前(ぶっぽうげんぜん)せず、佛道(ぶつどう)を成(じょう)ずるを得ざる時

如何(いか)ん。譲曰(いわ)く、その問(とい)はなはだ諦富(たいとう)なり。

僧いわく、すでにこれ道場に座す、なにとしてか、佛道を成ずることを得ざる。

譲曰く、伊(かれ)が成佛(じょうぶつ)せざるが為(ため)なり。

<解釈文>

譲和尚は、蘇州(そしゅう)興陽山(こうようざん)の淸譲和尚(しょうじょうおしょう)

のことであって、詳しい伝記は不明である。

ある時、この譲和尚に一人の僧侶が『法華経』の化城喩品(けじょうゆほん)にある

大通智勝佛が十劫の間道場に座っていたけれども成佛しなかったという一節を

提(ひっさ)げ来たってその解決を求めたのである。

(『劫』とは、簡単に言えば、この地上の世界が生まれて又滅するまでの

一周期です。十劫とは、その十倍です。)

無量無辺百千万億阿僧祇劫(むりょうむへんひゃくせんまんおくあそうぎこう)

という形容をつくしてさえも尚足りない程に久遠(くおん)なる昔より

存在し給う佛様ともあるものが、しかもそれは大通力(だいつうりき)

すなわち全能、智勝すなわち全智でありながら、十劫の歳月を道場に

座っていて成佛しなかったとあるが、成佛しなかったならばどうなるのであるか

という質問である。

この質問は回答するのにはなはだ難しいようであるが、質問が質問のために

なされているのであるから、質問しなければならない絶体絶命の力がない。

それは仮定の上に立って、「もしこうであるならば……どうしましょう」と

いうような閑人(かんじん)の閑質問に過ぎないのである。

だから譲和尚は「諦富(わかりきったこと)」と答えたのだ。

仮定は、如何に巧妙に提出せられても仮定だけの力しかない。

禅堂に座して幾百の公案を解決し得ても、実際生活上の板挟みに処しては

これを解決し得ぬ。それは床上(しょうじょう)の水練に過ぎぬ。

すでに佛は佛であり成佛しているのに、成佛しなかった場合どうなるかと

いう問いに対しては、「諦富(わかりきったこと)さ」と答えるほかはない。

この「諦富(わかりきったこと)」が解らぬ人が多いから困るのである。

すでに人間は本来佛であり、迷うことなきものであるのに、幾十年人生に処して

尚迷っていると思っている人間があるのはどうすべきかというのは、譲和尚に

「佛道を成ずるを得ざる時如何」と尋ねかけたのと同じである。

こちらが迷っていると思って観るから迷っているが如く見えるに過ぎないのである。

「もし」の観念を以って人に立ち向かうときには、その人の本来の姿は見えていない。

こちらの先入観念の投影であると悟ってこちらがそういう観念を投げ棄てて、

本来佛なる相手の姿を観るようにすれば、その本来の姿のみが現れて来るはずである。

第一の問いが解決するならば第二の問いも自ずから解決すべきはずである。

「すでにこれ道場に座す、なにとしてか、佛道を成ずることを得ざる。」

「伊が成佛せざるが為なり。」

漢字に表現されたるこの公案の解決はすこぶる妙を得ているのである。

大通智勝如来を久遠劫前(くおんごうぜん)に存在したと架空的に考えられたる

佛と観てはならない。大通智勝如来とは自分であり、自分の父であり、

母であり、夫であり、妻であり、子であり、目下の人であり、その他すべての

佛性やどれる衆生一切を大通智勝如来の顕現(けんげん)と見るべきである。

それら無数の大通智勝如来が成佛せずして迷っていたり、不都合の状態を

表しているのは、なにゆえであるかというと、「伊(かれ・われ)が成佛

せざるが為なり」であるのである。漢字の「伊(かれ)」は「彼(かれ)」と読み、

「是(これ)」と読み、「我(われ)」と読む。伊(かれ)と我(われ)とは自他一体

なのである。伊(かれ)が成佛せざるは我(われ)が成佛せざるにほかならない。

彼はすでに佛であるのに、それを佛として拝み得ない迷雲(めいうん)の反映でしか

ないのである。--

いかがでしたでしょうか?「凡と見れば凡。佛(仏)と見れば佛(仏)。」

釈尊の前世と言われる「常不軽菩薩」のように、万人を佛(仏)として

拝めるでしょうか?

谷口雅春著 「無門関解釈」 第七則を読む

さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、

今回は、第七則です。

本文の後にわかりやすい解釈文があります。

本文は難解なので、スルーしても良いです。

では、

第七則 「趙州洗鉢(じょうしゅうせんぱつ)」

趙州、ちなみに僧(そう)問う、それがし乍入叢林(さにゅうそうりん)、こふ師、

指示せよ。州曰(しゅういわ)く、喫粥(きっしゅく)しおわりや未(いまだ)しや。

僧いはく、喫粥しをわれり。州いはく、鉢盂(はつう)を洗ひ去れ。

その僧省(しょう)あり。

<解釈文>

「乍」は「たちまち」の意であるから、乍入と言えば新参者(しんざんしゃ)の

意である。叢林は僧の修行する道場である。新参の僧が趙州和尚のところへ

やって来て、「わたくしは新参に弟子入りしたものでございます。

勝手がわからないものですからご指導をお願い申します」と言ったのが

「それがし乍入叢林、こふ師、指示せよ」である。すると趙州和尚は

「喫粥しおわりや未しや」(おかゆは、もう食ったか、まだか)と聞いた。

新参の僧は「もう頂きましてございます。」「そうか、おかゆを食べたら

鉢盂(ちゃわん)を洗って来い」と趙州はただそれだけ言ったのである。

そこでその僧は省悟(しょうご)するところあったと言うのである。

 ただそれだけの事である。当たり前のことが当たり前に出来るのが

悟りである。『大蔵経(だいぞうきょう)』を全て読破し、その字義(じぎ)に

精通し、少しでもその解釈が仏教上のそれに相違するからとて、

玄人めかしく他を軽蔑したり誹謗(ひぼう)するようなのが悟りでは

ないのである。道場に精勤して先師の講義を聴き、「悟った、悟った」

などと思い上がりながら、家事は放置し、部屋の掃除も出来ていないようなのが

悟りではない。悟りと言うのはどこか天上にでも遠くあるのではない。

「此処(ここ)」に「今」あるのである。「日々是れ好日(にちにちこれこうじつ)」

であり、「至道無難(しいどうぶなん)」であり、

「平常心是道(へいじょうしんこれどう)」である。

「道」と言うものは「今」あるところから常に出発するのであって、

「今」を十分生かさないでいて遠くに道を求むるなどと言うことは

あり得ないのである。

「今」が「久遠(くおん)」であり、「些事(さじ)」が万事である。

一つをすら生かし得ないようなものは万事を生かすことが出来ないのである。ー

 

いかがでしたでしょうか、「生活」が「道」である。掃除のできていない私には、

身につまされる言葉です。

 

 

谷口雅春著 「無門関解釈」 第六則を読む

さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、

今回は、第六則です。

本文の後にわかりやすい解釈文があります。

本文は難解なので、とばして読んでもOKです。

では、

第六則 「世尊拈花(せそんねんげ)」

世尊、昔、霊山會上(りょうぜんえじょう)にあって、花を拈(ねん)じて衆(しゅ)に

示す。この時衆皆黙然(みなもくねん)たり。ただ迦葉尊者(かしょうそんじゃ)のみ

破顔微笑(はがんみしょう)す。世尊曰(いわ)く、われに正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、

微妙(みみょう)の法門あり、不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別傳(きょうぎべつでん)、

摩訶迦葉(まかかしょう)に付嘱(ふぞく)す。

<解釈文>

釈迦牟尼如来霊鷲山上(りゅうじゅせんじょう)の教えの集会において、

金波羅華(こんぱらげ)を拈(ひね)って会衆一同(かいしゅういちどう)に示したというので

ある。すると会衆は何の意味か判断しかねて、そのうちに釈尊が何とか説明でも

してくれるものと思いながら黙然と釈尊の顔を見つめているのみである。

その時、ただ迦葉尊者のみ釈尊が会衆に何を示さんとしているのであるか、

釈尊の意のある所を察したのであろうか破顔微笑したというのである。すると、

釈尊は「われに正法眼蔵、涅槃妙心(ねはんみょうしん)、実相無相の微妙の

法門あり。されど、曰く言い難(がた)し。文字を立てていうことは出来ぬ(不立文字)、

教えを説いて傳(つた)えることも出来ぬ。教え以外の教え(教外別傳)、この

金波羅華のすがたがそれだ。それを見て魔訶迦葉は微笑したからにはわかった

はずじゃ。迦葉尊者よ宜しくたのむ(魔訶迦葉に付嘱す)」と釈尊がいわれたのである。

 

著者の谷口雅春氏は、釈尊は、「不立文字」と言ってはいるけれども、それは、

時期至らなかったためであって、文字で悟りは、伝えられると主張していました。

そして、日本の「言霊学」を極め、「生命の実相」という本を記し、多くの人を、

悟りに導きました。また、健康、経済状態が良くなるなどの現世利益も

もたらしました。現世利益を肯定していますが、

これは、氏が影響を受けた、アメリカにおいての「神観」では、

「現実に役に立たない神は必要ない」という思想からきています。

この「無門関解釈」も、何回も熟読して読めば、悟れる人は、悟れます。

 

谷口雅春著 「無門関解釈」 第五則を読む

さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、

第四則は、分かりにくいので、パスして、

今回は、第五則です。

この公案は、有名なので、知ってらっしゃる方もいるのではないかと思います。

本文の後にわかりやすい解釈文があります。

本文は難解なので、とばして読んでも大丈夫です。

では、

第五則 「香嚴上樹(きょうげんじょうじゅ)」

香嚴和尚いわく「人の樹(じゅ)にのぼるがごとく、口に樹枝(じゅし)をふくみ、

手に枝をよじず、脚に樹をふまず。樹下(じゅげ)に人あって西来意(さいらいい)

を問わんに、こたえずんばすなわち他の所問(しょもん)にそむく。もしこたえなば

又そうしん失命(しつみょう)せん。しょういんもの時、そもさんかこたえん。」

 

<解釈文>

さて、香嚴和尚はいうのだ。「口に樹の枝をふくみ、手は枝を握っていない。

脚は樹をふんでいない。まったく口の力で空中からせんじんの断崖上に

ぶら下がっているのだ。その時、樹の下に『祖師西来の意如何(そしさいらいの

いいかん)』と問う人があったらどうするか。こたえなければ禅家の礼儀を

やぶることになる。もし口を開いてこたえれば身はせんじんの谷底に墜落して

木端微塵(こっぱみじん)となって命を失う。まさしくこんなときどんなに

処置したらよいか。」

もし、弁をふるえば、せんじんの谷底に墜落して喪身失命(そうしんしつみょう)

する。答え得ずんば禅家の面目なんぞあらん。進退両難である。

しりぞけば道の死であり、礼の死であり、義の死である。

義を見てせざるは勇無きなりというので、進めば墜落と肉体死と生命の死とが

待ち構えている。いずれをとるも死である。さてどうするか。

おおむねこういう両刀論法、進退両難を解決する道は、両刀論法は無い、

進退両難は無い、本来大調和、このまま寂光土(じゃっこうど)なる実相を

把握するにある。

本来寂光土、本来大調和の世界を把握しない限り、心の中にある進退両難、

矛盾撞著(むじゅんどうちゃく)の世界を克服しない限り、ひとつの進退両難を

克服し得ても、次の矛盾撞著はこもごも来たり、結局は収拾するところを

知らずという状態になるのである。なぜなら、外界の進退両難は、心の世界の

進退両難の反映でしかないからである。

この公案は、馬鹿々々しい。なにゆえこの公案が馬鹿々々しいものであるか

というと、机上の閑空想(きじょうのかんくうそう)の葛藤であるからである。

葛藤本来なく、進退両難本来なしであるのに、わざとわが心で葛藤を作り、

進退両難をつくっているからである。

吾々はいつでも進退両難の窮境(きゅうきょう)から脱却することが出来るのだ。

なぜなら、進退両難の窮境は実相においては無いものであって、唯空想の

中にのみ存するものに過ぎないからである。 ー

 

いかがでしたでしょうか?進退両難は、空想である。「いざ」となったら、

「命」が何とかしてくれる。この命にゆだねる習慣、身につけたいものです。