8まってる

私が、今、ハマっているものを、紹介いたします。

谷口雅春著 「無門関解釈」を読む 第三則

さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、今回は、

第三則です。

本文の後に、わかりやすい解釈文があります。

本文は難解なので、とばして読んでもOKです。

では、

第三則 「俱胝竪指(ぐていじゅし)」

俱胝和尚、およそ詰問するあればただ一指をあぐ。のちに、童子あり、

ちなみにげにん問う、「和尚なんの法要をか説く。」童子また指頭をたつ。

胝、聞いてついに刃をもってその指を断つ。童子負痛慟哭(ふつうどうこく)して去る。

、またこれを召(め)す。童子、こうべをめぐらす、、かえって指を竪起す。

童子こつねんとして領悟(りょうご)す。胝、まさに順世(じゅんせ)せんとす。

衆にいって曰く、「吾れ天竜一指頭(てんりゅういっしとう)の禅を得て、

一生受用不盡(いっしょうじゅようふじん)」と言いおわって滅を示す。

 

<解釈文>

俱胝和尚は天竜和尚が唯「一指頭をたてた(一本の指を立てた)」のを見て、悟った。

俱胝には一指頭がたつのは大天地が立っているのと同じであった。

一指頭をたてて見せるのは、大天地を目の前に持ち出して「それ」といって

ひとに示すのと同じであった。それを見ていた小僧が、その指の形のみを見て、

真似をして指を立てる。人が物を問うと何でもかでも指を立てる。

「お前の先生は、どんな法を説くか、要点を教えてくれ」といってよそのひとが

問うと、指を立てる。俱胝が指を立てたら、そこに三千大千世界が立っているが、

小僧は形だけの指を立てているから、形は同じでも「先生の教える法」とは

内容がすっかりちがう。そこでそれを聞いた俱胝和尚はある日小僧をよんで

「いかなるかこれ汝(なんじ)?」とやった。小僧は案にたがわず、一本の指を立てた。

「この指、汝ならばこの指を切断せんにはいかに?」

と俱胝ははさみを持って来て小僧の指をチョキンと切ってしまった。この指が

小僧ならば切ってそこへ置いても返事しそうなものである。しかし指は小僧ではない。

切られた指は血が出て青紫色にしなびて唯の物質としてそこに転がっているに過ぎない。

童子負痛慟哭して去る。」小僧は痛さにたまらないで泣きながら逃げて行く。その時

「小僧待て。いかなるかこれ汝?」ともういっぺん前の問いを繰り返した。小僧は

右手の指を立てようにもその指は切られて無い。真似ようにも真似られない。

そこで人真似でない指を立てねばならぬ。小僧が困っている時に、俱胝和尚は又

指をたてて小僧に示した。「こういうように立てるんだ」という意味だ。小僧は

こういうようにも、ああいうようにも指がないのだ。成る程と気がついた。

立てるべきはこの肉体の指ではなかった。人真似の指ではない。形の指ではない。

指が無くとも立つ指が自分である。何がなくとも天地とともに立つ生命、

それが自分であると悟った。 -

 

いかがでしたでしょうか?「何がなくとも生きられる」と悟ること。

そんなこと言ったって、あれも必要だし、これも必要だし。と思うのが

人間ですが。

物は有っても、良いのです。「有っても無い」あれこれ右顧左眄(うこさべん)

することは、無いのです。「汝ら思い煩うなかれ」

今日の事は今日で、明日のことは、明日で。

谷口雅春著 「無門関解釈」を読む 第二則

さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、今回は、

第二則です。

本文の後に、分かりやすく書いた解釈文があります。

本文は、難解なので、とばしても大丈夫です。

第二則「百丈野狐(ひゃくじょうやこ)」

百丈和尚、およそ参のついで、一老人あって、常に衆にしたがって法を聴く。

衆人しりぞけば老人もまた退く。たちまち一日しりぞかず。師ついに問う。

「面前に立つ者はまたこれ何人ぞ。」老人いわく、「諾(だく)、それがしは

非人なり、過去迦葉佛(かしょうぶつ)の時において、かつてこの山に住す。

ちなみに学人問う、『大修行底(だいしゅぎょうてい)の人、かえって

因果に落つるやまた無しや。』それがしこたえていわく、『不落因果』と。

五百生野狐身に堕す、今こふ和尚、一転語を代わって、こいねがうらくは

野狐を脱せしめよ」と。ついに問う、「大修行底の人、かえって因果に

落つるやまた無しや。」師いわく、「不昧因果(ふまいいんが)」と。

老人言下において大悟す。作禮(さらい)していわく、「それがしすでに野狐身を

脱して山後(さんご)に住在せん、あえて和尚に告ぐ、こふ亡僧の事例によれ。」

師、いのをしてびゃくついして衆に告げしむ、食後に亡僧を送らんと。

大衆言議す、一衆皆やすし、涅槃堂にまた人の病むなし、何がゆえぞかくのごとく

なる。食後にただ師の衆をりょうじて、山後のがんかに至って杖を以って一死

野狐を挑出(ちょうしゅつ)して、すなわち火葬によるを見る。師、くれに至って

上堂、前の因縁をこす。黄檗(おうばく)すなわち問う、「古人誤って一転語を

したいして、五百生野狐身に堕すと。転々誤らずんば、まさにこのなにとか

なるべき」師いわく、「近前来、かれのためにいわん」黄檗ついに近前して

師に一掌(いっしょう)をあたう。師、手をうって笑っていわく、

「まさにおもえり、胡鬚赤(こしゅしゃく)と、さらに赤鬚胡あり。」

< 解釈 >

百丈和尚は、大雄山に請(しょう)ぜられて法を説いた有名な人だ。

そんな百丈和尚の道場のことであるから、毎日沢山の修行者が集まって

座禅し、説法を聴いて修行していた。その大勢の中に混じって一老人が

毎日黙って修行している、大勢が去るとその老人も去るのであった。

ところが、ある日、他の修行者が道場の時間が終わって退出してしまっても

その老人ひとりじっと百丈和尚の面前に座っていて去らないのである。何か

もの言いたげな表情である。そこで百丈は「我が面前に座っている者は、

一体これ何であるか」とたづねた。するとその老人は「ハイ、私は人間では

ありません。前には人間でありました。今は変化身であります。・・・うんぬん」

と答えた。

さて、この百丈禅師を今百丈と称し、「私は人間ではありません。変化身で

あります」と言った老人を前百丈と呼ぶことにする。前百丈が続いて答えて

言うのに、「過去迦葉佛のとき私はこの百丈山に住んでおって、貴方のように

説法していたのでございます。ところがその説法を聴聞していた修学の者の

一人が『大修行底の人でも因果の理法の中にあるものでしょうか。それとも

又因果の理法の外に超出しているものでしょうか』と質問しましたから

私は『大修行底の人は因果の理法の外に超出している者だ』と答えましたが、

その答えが間違っていましたので、私は五百生の間野狐の身に堕ちて、人間として

浮かび上がることが出来ません。どうぞ私がそれと同じ質問を致しますから、

それに対して私をして心機一転せしむる一転語を与えて、この野狐の身から

脱して元の人間に帰ることが出来るようにして下さい」と言ってから、再び

「大修行底の人かえって因果に落つるやまた無しや」と言う質問を繰り返した。

すると今百丈は「不昧因果」とやった。と言う意味は、因果の大法はくらますことが

出来ない、いくら大修行底の人であっても、因果の大法を無視することは出来ないと

言ったのである。すると、野狐身に堕落していた老人は、この一言に大いに悟って

お辞儀をして、「和尚の有難い一転語のお陰で野狐身を脱却して本当の人間に

戻ることが出来ました。その野狐の身体を脱ぎ去ることが出来ましたが、その死骸が

山の後方にまだ残っておりますから、どうか死んだ僧侶をとむらう儀式によって

とむらいをして下さい」と言ったので、いのと言う当番僧をして、びゃくつい

(槌で板を打って合図をし、修行僧たちを呼び集める方法である)して大衆を呼び集めて

「死んだ僧があるから皆で葬式だ」と言う。大衆は、「誰も死んだものはなし

妙だな、涅槃堂におこもりしていた人にも誰も病人はなかったが、一体誰が死んだの

だろう」と口々にぶつぶつ言議している。そこで昼食後、百丈和尚が大衆を

引き連れて、ある岩の下に降りて行き、杖で一頭の野狐の屍をはね出して、

「そら、こんな所に野狐の皮袋が転がっているから火葬にふそう」と火をつけて

燃やしてしまった。そしてその晩、百丈和尚は禅堂に上って前記の由来因縁を話したと

言うのである。

釈迦が涅槃に入ろうとしたときに、その弟子の迦葉が、「先生、あなたのように

大勢の人を救ってこられて善根功徳を積んで来られた人でも死ぬんですか」と言って

嘆いたということである。「あなたのように善根功徳を積んで来られた人」と言うのは

「大修行底の人」である。そして「あなたでも死ぬんですか」と言うのは

「因果に落つるのですか」と言うことである。

釈迦は「涅槃経」においてこの回答を与えている。「法華経」の中でもこの回答を

与えている。

前百丈が五百生野狐身に堕して、その野狐身を脱することが出来なかったのは、

「不落因果」と答えたためではない。瓦を磨いて宝石になるかと言うにも等しい

愚問に対して、大修行がどうのこうのと問題にしているところにある。そんな

悟りの程度では「不昧因果」と答えたところがやはり野狐身に堕するであろう。

答えは渾心(こんしん)の悟りから出てこなければならない。狗子佛性の公案

趙州はある人には「有」と答え、ある人には「無」と答えている。

不落と言っても不昧と言っても、悟った人なら、どちらを答えて見ても正しいが、

悟らぬ人なら、どちらを答えても間違いだ。

黄檗禅師が、百丈和尚の俊秀としてその話を聴いていて尋ねた。

「前百丈は『不落因果』と間違って答えたのが原因で、五百生野狐になった

と言いますが、そして先生が『因果くらまさず』と言ってやったら野狐身を

脱したと言いますが、それでは不合理でありませんか。因果に落ちないので

あればこそ、因果を脱して野狐身を逃れることが出来るのでしょう。因果

くらまさずであるならば前に野狐に生まれる原因になった因は、どこどこまでも

くらまさずに続いて行くべきである。そうして転々と因果をくらまさずして

間違わずに続いて行くならば、やがてどうなりますか。」中々鋭い質問である。

やがて、その門下に、臨済をだした程の黄檗であるから、その鋭鋒当たるべからず

の概がある。百丈は、「近前来(もっと近う進め)、お前に言うてやることがある」

と言った。黄檗は、百丈和尚に近寄りざま、「先生、この面(つら)は?」と

手をあてた。すると、百丈和尚手を打って、「えびすの髭は赤いとも言うが、

赤髭のえびすもある」と言って、呵々大笑したと言うのである。

「胡鬚赤」と言っても、「赤鬚胡」と文字を逆にして言っても、どうせ同じことだ。

不落因果、不昧因果、文字かわれども、迷う者は、どう言っても迷って行くし、

迷わぬ者はどう言っても迷わぬのだ。 ―

 

いかがでしたでしょうか?「悟ること」の大事さ。

私も実感してゆきたいと思います。

 

 

谷口雅春著 「無門関解釈」を読む 第一則

 

今回は、禅宗第一の書、「無門関」の解釈本です。

第一則~第四十八則まで、あります。

読み応え十分の書なので、一則ずつ紹介したいと思います。

一則で、悟れる人は、悟れます。

では、早速、

第一則「趙州狗子(ジョウシュウクシ)」

『趙州和尚、ちなみに僧問う、狗子にかえって佛性ありや

また無や。州いわく、「無」。』

さて、ある僧が「いぬころに佛性があるか無いか」と趙州和尚に

問うたところが、趙州和尚は「無」と答えたというのである。

その趙州和尚は何故「無」と答えたのか考えて見よというのが

第一則の公案である。

色々の意味にこの「無」がとれるのであって、そこに求法者の

悟りの深さが千差万別してあらわれるのである。ある人の解釈が

「浅い」と思ってわらっていると、猿の尻笑いになることもないでもない。

言葉の表現では「浅い」「深い」などとみだりに評することは

出来ないのである。

そこで「参禅はすべからく祖師の関をとおるべし」と無門慧開和尚は

一喝したのである。祖師というのは先輩の僧侶だと思っている人もあるらしいが、

先輩の僧侶ではない。だから「まくねんとして打発せば天を驚かし地を動ぜん。

関将軍の大刀を奪い得て手にいるが如く、佛に会うては佛を殺し、

祖に会うては祖を殺し」といっているのである。師につくことが「祖師の関を

とおる」ことであるならば、禅門の万僧ことごとく悟っているべきはずで

あるが、衣鉢を伝えられると称する悟りの境に達した者は、ごくわずかな

数に過ぎない。「祖師の関」とは「真理」の関所である。真理こそ唯一の祖師で

あって、そのほかの「祖師」はことごとく偽りの祖師に過ぎない。そこで

「祖に会うては祖を殺す」といって真理を無(な)みし、師恩を無みし、旧師の

悪口をいって、「自分」のみ鼻高々として自己吹聴する者があるならば、

彼はまだ祖師を殺していない ー 自分を「祖師」としているのであって、

祖師の殺し方が足りないのである。「自分を祖師とすること」さえも

殺さなければならない。 - これが否定の妙用である。

「狗子に佛性ありや?」は、やがて又、「人に祖師ありや?」の公案にも通ずる。

「僧問う - 人に祖師ありや?州いわく、無」と書き直しても

よいであろう。これは祖師だけを否定したのではない。師なんてないものだ!

こう否定して鼻高々となったときいつの間にか自分が「師」に

なっている。人もない。祖師もない。祖師もないという者もない。

どこまでも否定はその極の極まで進まなくてはならない。

そこで「妙悟(みょうご)は心路(しんろ)をきわめて絶せんことを要す」である。

心路を絶してギリギリの所まで達すれば否定するに否定し得ない究極実在

に達する。そうしてただ真理のみあることがわかる。光明一元である。

そうわかって見れば、万物祖師ならざるはない。そのまま、師を師とし、

感謝の心わき出で、報恩の行(ぎょう)おのずからととのうのである。

 

いかがでしたでしょうか?全てを否定し、否定することまで否定しきった時、

どうしても否定することのできない「実在」に達する。それを「悟り」と

いうそうです。

公方俊良著 「般若心経 人生を強く生きる101のヒント」を読む

さて、今回は、「般若心経」です。

般若心経は、お釈迦様の教えをわずか276文字に

集約したものです。

「空」の思想とも呼ばれています。

最も大切な教えは、「真実に目覚めること」とされています。

「真実」とは、「三法印」すなわち、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」です。

諸行無常」とは、あらゆるものは移り変わるということ。

諸法無我」とは、あらゆるものは実体がないということ。

涅槃寂静」とは、この二つの道理に心の底からうなずき、囚われのない

生き方をするとき、真のやすらぎが得られるということです。

中国禅宗第四祖・道信(580-651)がある時、路上で一人の少年に

出会いました。道信和尚が少年に尋ねました。

「名は何というのか」「名はありますが、人並みの名ではありません」

「ほう。では、どのような名か言ってみよ」「仏という名です」

「さて、自分の名を忘れたな」「名はもともと空ですから」

和尚は驚いて、この少年を弟子にしました。

この少年こそ、後の五祖・弘忍(グニン)なのです。

私たちは、自己も、名も、過去も、何ら実体はないのに、

“ある”と思い込んでいます。

弘忍は、そこを指摘したのです。

仏教では、迷い悩む人の心を此岸(シガン)「こちらの岸」にたとえ、

真実に目覚め安らぎに到達した心を彼岸(ヒガン)「あちらの岸」にたとえます。

そして、考え方を転換してみれば、置かれた環境はそのままで

幸せになれる、というのが到彼岸、すなわち“般若波羅蜜多”であり

涅槃寂静”なのです。

道理に目覚め悟りを得たからといって、環境が変わるわけではありません。

しかし、心を転換していますので、現状のままで幸せになれるのです。

シェークスピアの言葉に次のものがあります。

「人は心が愉快であれば終日歩いても疲れないが、心に憂いがあると

わずか一キロ歩いても疲れる。人生もこれと同じで、常に明るく

愉快な心を持って歩むことである」

まさに至言です。明るく愉快な心を持つには、あらゆるものごとの

良い面を見、喜ぶことなのです。

幸福とは、心が愉快であるということです。

それ以外に、幸福に、意味づけをしようとすると、訳が分からなくなって

しまいます。

自分の心を愉快にする工夫、この本で探してみませんか?

「韓非子」を読む

さて、今回は、中国古典の「韓非子(カンピシ)」です。

中国の思想には、「性善説」と、「性悪説」とが、あります。

性善説」というのは、人間は、もともと「善」なのだから、

のびのびと、その「善性」を伸ばすようにすべきだ。

という考え方です。

対して、「性悪説」というのは、人間は、放っておいたら、悪いことを

するのだから、「ルール」で縛って、悪いことができないようにすべきだ。

という考え方です。

性善説」の代表格である孔子の「論語」は、すでに、紹介済みなので、

今回は、「性悪説」の代表格、「韓非子」を紹介しようと思います。

韓非子は、「春秋戦国時代」の末期の人物で、秦の始皇帝に乞われて、

教えを伝えました。始皇帝は、国中を、規律づくめにし、治めました。

始皇帝は、「貨幣の統一」など、功績も大きかったのですが、秦の国民は、

やがて、無理な労役にかり出されたりと、不満をためて、あちこちで

クーデターを起こします。

結局、秦は、三代で滅び、新たに国を興した、前漢の高祖・劉邦が、

「殺すな、盗むな、傷つけるな」の、シンプルな法律、「法三章」で、

国を治めました。

「漢」は、「前漢」と「後漢」合わせて、約四百年続きました。

劉邦の「法三章」が、民衆に受け入れられたのは、「過酷な法律づくし」に、

苦しめられていた後という、反動もあったのでしょう。

ただ、自分自身を過信せず、「ルール」を作って、自己を律するのは、

悪い方法では、ありません。

では、その「韓非子」から、

「圧勝していても手を抜くな」という意味の、

「あとを削りて根をのこすことなかれ。わざわいととなりすること

なければ わざわいすなわち存せず」

という言葉を紹介します。

秦軍が楚軍と戦って、大いにこれを破ったため、楚王は、群臣と共にのがれ、

陳の地にたてこもった。このとき、秦は、軍をひいて、楚軍と和平を行なった。

その後、楚は、失った都を取り戻し、散り散りになっていた人民をあつめて、

社稷を再建し、宗廟の祭りを復活させ、すっかり態勢を立て直した。

そして、天下の諸侯に呼び掛けて、これを率い、再び秦に敵対できるまでになった。

もし、秦軍が、前の戦いで、楚軍を破り、陳の地に追い詰めたとき、

追撃の手を緩めていなかったなら、楚の国も人民も今頃は完全に自分のものに

できただろうに、と秦の失敗を指摘したのです。

「禍根は絶つ」のいましめです。

続いて、

「わざわいがあればこそ福が得られる」という意味の

「全寿富貴、これを福という。しかして福はわざわいあるに本づく」

わざわいがあると、人は恐れおののく、恐れおののけば行動が懸命になってくる。

行動が懸命になってくると、なにごとも熟慮し、熟慮すればものごとの理が

わかってくる。行動が懸命になってくれば、わざわいをきりぬけることができる。

そうすれば寿命が伸びてくる。そして、また、ものごとの理がわかってくれば、

仕事も成功するようになる。こうして、わざわいがあったことで、寿命が

全うでき、富貴がえられる。だそうです。

このように、ただの「性悪説」には、とどまらない人生の処世術の本、

いかがですか?

 

丹羽隼兵著 中国古典百言百話3「三国志」を読む

さて、今回は、「三国志」です。小説の方では、ありません。

三国志」の物語の中の言葉や、エピソードを集めた本です。

三国志」には、小説等になって、若干、虚構も含まれている「演義」と、

史書である、「正史」とがあります。

三国志正史」は、晋代の史家、陳寿(チンジュ)が著したもので、

史記」「漢書」「後漢書」に次ぐ、四番目の正史です。

本書は、「正史」の内容を中心に関連ある人物の言葉を、引用して、

構成したものだそうです。

劉備」や、「孔明」「関羽」「張飛」「曹操」「孫権」等、

魅力あるキャラクターが、キラ星のごとく、登場します。

では、まず、

「呉下の阿蒙(アモウ)」から。

「われ、おもえらく、大弟ただ武略あるのみ、と。

今に至りて学識英博、また呉下の阿蒙にあらず

あるとき、先輩の将軍、魯粛(ロシュク)が呂蒙(リョモウ)を訪れ、

議論をかわしてみて驚いた。終始、魯粛の方が押されっぱなしなのである。

魯粛は、呂蒙の背をたたいて言った。

「きみは実戦だけの人物と思い込んでおった。いつの間にか、

えらい博識ぶりだ。いつまでも《呉の蒙ちゃん》扱いは、できんわい」

昔のままで進歩のない人間を「呉下の阿蒙」というのは、これにもとづくそうです。

私の小学校のころの校長先生が、朝礼の時、この話をしていたので、印象深いです。

続いて、

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」です。

諸葛孔明(ショカツコウメイ)と司馬仲達(シバチュウタツ)が対決した

五丈原の戦いは、ほとんどにらみ合いに終始し、対峙すること百余日、

ついに孔明は陣中で没する。

蜀(ショク)軍は、ひそかに撤退に移った。

この動きは、土地の者によって仲達のもとにもたらされる。

仲達は、すぐさま追撃したが、蜀軍がわざと旗の向きをかえ、

出陣の太鼓を鳴らして反撃の態勢をとると、あわてて逃げ戻り、

もはや近づこうともしなかった。これをみた土地の者たちは、口々に言いあった。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」

仲達は、このエピソードにより、「臆病者」のイメージがついてしまったのですが、

持久戦により、勝利を得るというのは、「孫子」の「戦わずにして勝つ」という

兵法にのっとっており、上策といえます。

「正史」は、「演義」ほど、派手では無いのですが、

リアリズムを追求するあなたに、おすすめの一冊です。

 

 

 

「孫子」を読む

さて、今回は、「孫子の兵法」でおなじみの「孫子」です。

孫子」は、春秋時代の兵法家、孫武(ソンブ)の著とされています。

もう一人、「孫子」の作者ではないかと思われていたのが、

孫武の子孫とされる、孫臏(ソンピン)ですが、近年では、やはり、

孫武が「孫子」の作者であろうということになっています。

ちなみに、この記事の参考にしたのは、村山孚(まこと)さんの

孫子」という本と、守屋洋さんの「孫子の兵法」という本です。

孫子」で有名な言葉は、

「彼を知り己れを知れば、百戦して殆(あや)うからず」という

言葉ではないでしょうか?

ところで、この言葉には、続きがあるということ、ご存知でしたか?

続きは、

「彼を知らずして己れを知れば、一勝一敗す」

「彼を知らず己れを知らざれば、戦うごとに必ず殆うし」です。

この言葉は、物事に対する主観的、一面的な判断をいましめたものと

されています。

続いては、おなじみの、

「故にその疾(はや)きこと風のごとく、その徐(しず)かなること林のごとく、

侵掠(しんりゃく)すること火のごとく、動かざること山のごとく」

そう、「風林火山」です。「武田軍団」ですね~。

この言葉にも、続きがあるって、ご存知でしたか?

「知りがたきこと陰のごとく、動くこと雷霆(らいてい)のごとし。

郷を掠(かす)むるには衆を分かち、地を廓(ひろ)むるには利を分かち、

権を懸(か)けて動く。迂直の計を先知する者は勝つ。これ軍争の法なり」

要するに、敵に先んじて、変幻自在な手をうてば勝てるというような

ことです。

孫子」は、「権謀術数」です。私たちの世の中には必要ないと

思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、「社会」は、「戦場」にも

たとえられます。先人の知恵で、社会と言う戦場にのぞむ人に、おすすめの

一冊です。