8まってる

私が、今、ハマっているものを、紹介いたします。

「韓非子」を読む

さて、今回は、中国古典の「韓非子(カンピシ)」です。

中国の思想には、「性善説」と、「性悪説」とが、あります。

性善説」というのは、人間は、もともと「善」なのだから、

のびのびと、その「善性」を伸ばすようにすべきだ。

という考え方です。

対して、「性悪説」というのは、人間は、放っておいたら、悪いことを

するのだから、「ルール」で縛って、悪いことができないようにすべきだ。

という考え方です。

性善説」の代表格である孔子の「論語」は、すでに、紹介済みなので、

今回は、「性悪説」の代表格、「韓非子」を紹介しようと思います。

韓非子は、「春秋戦国時代」の末期の人物で、秦の始皇帝に乞われて、

教えを伝えました。始皇帝は、国中を、規律づくめにし、治めました。

始皇帝は、「貨幣の統一」など、功績も大きかったのですが、秦の国民は、

やがて、無理な労役にかり出されたりと、不満をためて、あちこちで

クーデターを起こします。

結局、秦は、三代で滅び、新たに国を興した、前漢の高祖・劉邦が、

「殺すな、盗むな、傷つけるな」の、シンプルな法律、「法三章」で、

国を治めました。

「漢」は、「前漢」と「後漢」合わせて、約四百年続きました。

劉邦の「法三章」が、民衆に受け入れられたのは、「過酷な法律づくし」に、

苦しめられていた後という、反動もあったのでしょう。

ただ、自分自身を過信せず、「ルール」を作って、自己を律するのは、

悪い方法では、ありません。

では、その「韓非子」から、

「圧勝していても手を抜くな」という意味の、

「あとを削りて根をのこすことなかれ。わざわいととなりすること

なければ わざわいすなわち存せず」

という言葉を紹介します。

秦軍が楚軍と戦って、大いにこれを破ったため、楚王は、群臣と共にのがれ、

陳の地にたてこもった。このとき、秦は、軍をひいて、楚軍と和平を行なった。

その後、楚は、失った都を取り戻し、散り散りになっていた人民をあつめて、

社稷を再建し、宗廟の祭りを復活させ、すっかり態勢を立て直した。

そして、天下の諸侯に呼び掛けて、これを率い、再び秦に敵対できるまでになった。

もし、秦軍が、前の戦いで、楚軍を破り、陳の地に追い詰めたとき、

追撃の手を緩めていなかったなら、楚の国も人民も今頃は完全に自分のものに

できただろうに、と秦の失敗を指摘したのです。

「禍根は絶つ」のいましめです。

続いて、

「わざわいがあればこそ福が得られる」という意味の

「全寿富貴、これを福という。しかして福はわざわいあるに本づく」

わざわいがあると、人は恐れおののく、恐れおののけば行動が懸命になってくる。

行動が懸命になってくると、なにごとも熟慮し、熟慮すればものごとの理が

わかってくる。行動が懸命になってくれば、わざわいをきりぬけることができる。

そうすれば寿命が伸びてくる。そして、また、ものごとの理がわかってくれば、

仕事も成功するようになる。こうして、わざわいがあったことで、寿命が

全うでき、富貴がえられる。だそうです。

このように、ただの「性悪説」には、とどまらない人生の処世術の本、

いかがですか?