谷口雅春著 「無門関解釈」 第六則を読む
さて、禅宗第一の書「無門関」の解釈本、
今回は、第六則です。
本文の後にわかりやすい解釈文があります。
本文は難解なので、とばして読んでもOKです。
では、
第六則 「世尊拈花(せそんねんげ)」
世尊、昔、霊山會上(りょうぜんえじょう)にあって、花を拈(ねん)じて衆(しゅ)に
示す。この時衆皆黙然(みなもくねん)たり。ただ迦葉尊者(かしょうそんじゃ)のみ
破顔微笑(はがんみしょう)す。世尊曰(いわ)く、われに正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、
微妙(みみょう)の法門あり、不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別傳(きょうぎべつでん)、
摩訶迦葉(まかかしょう)に付嘱(ふぞく)す。
<解釈文>
釈迦牟尼如来が霊鷲山上(りゅうじゅせんじょう)の教えの集会において、
金波羅華(こんぱらげ)を拈(ひね)って会衆一同(かいしゅういちどう)に示したというので
ある。すると会衆は何の意味か判断しかねて、そのうちに釈尊が何とか説明でも
してくれるものと思いながら黙然と釈尊の顔を見つめているのみである。
その時、ただ迦葉尊者のみ釈尊が会衆に何を示さんとしているのであるか、
釈尊の意のある所を察したのであろうか破顔微笑したというのである。すると、
釈尊は「われに正法眼蔵、涅槃妙心(ねはんみょうしん)、実相無相の微妙の
法門あり。されど、曰く言い難(がた)し。文字を立てていうことは出来ぬ(不立文字)、
教えを説いて傳(つた)えることも出来ぬ。教え以外の教え(教外別傳)、この
金波羅華のすがたがそれだ。それを見て魔訶迦葉は微笑したからにはわかった
はずじゃ。迦葉尊者よ宜しくたのむ(魔訶迦葉に付嘱す)」と釈尊がいわれたのである。
著者の谷口雅春氏は、釈尊は、「不立文字」と言ってはいるけれども、それは、
時期至らなかったためであって、文字で悟りは、伝えられると主張していました。
そして、日本の「言霊学」を極め、「生命の実相」という本を記し、多くの人を、
悟りに導きました。また、健康、経済状態が良くなるなどの現世利益も
もたらしました。現世利益を肯定していますが、
これは、氏が影響を受けた、アメリカにおいての「神観」では、
「現実に役に立たない神は必要ない」という思想からきています。
この「無門関解釈」も、何回も熟読して読めば、悟れる人は、悟れます。